復帰前の「アメリカ世(ゆー)」ってどんな時代?
1945年の敗戦後、いち早く米軍に占領された沖縄。そのまま1972年まで、米軍の統治下に置かれました。日本本土では平和憲法が制定され、占領していた連合国軍は去り、米軍基地も規模を縮小していったのに対し、沖縄は米軍統治下のまま。アメリカンカルチャーの影響を受けた食文化や、ジャズやロックなどの音楽文化も花開きましたが、高度経済成長期に入った本土と沖縄では格差が開く一方。当時の沖縄県民の多くが「日本への復帰」を求めるようになり、日米両政府ともこれを無視できない状況に。1972年5月15日に、沖縄の施政権は日本政府に返還されました。
「復帰前」「復帰後」の沖縄
復帰の頃、「本土に復帰すると沖縄にも雪が降るの?」と子どもたちが聞いたという話があります。復帰して大きく変わったのは、通貨と出入域制度でした。米ドルから日本円への切り替えは大騒ぎ。中には便乗値上げもあり、しばらくの間、「〇円…えーと、何ドルぐらい?」と日用品の買い物も大変でした。
また、復帰前の沖縄には出入域制限があり、沖縄の住民が本土と往来するには「日本渡航証明書」、日本以外の外国に渡航するには「身分証明書」が必要で、これらはまとめて「パスポート」と呼ばれました。日本本土に住所がある人も、沖縄へ来るには内閣総理大臣発行の「身分証明書」の発行が必要でした。これらがすべて不要になったため、復帰後の往来はとても身軽になり、沖縄を観光旅行で訪れる人の数は年々増えていったのです。
さらに、1975年には沖縄国際海洋博覧会が開催。経済の起爆剤としての役割が期待され、沖縄自動車道や港湾などインフラの整備も進みました。1978年7月30日には自動車の対面交通が右側通行から左側通行に変更。日付にちなんで「ナナサンマル」と呼ばれます。
時代とともにアメリカ色は薄れ、日本文化も流入してきましたが、生活文化にはまだまだ沖縄らしさが残っています。特に食文化は、アメリカや日本だけでなく、ハワイや南米の移民が持ち込んだ食も含め、さまざまな要素を取り入れながら現在のウチナー料理が築かれてきたと言えるでしょう。
また、琉球・沖縄文化の素晴らしさも見直されています。復帰前後は「泡盛や三線なんて古くさい」という風潮が若者世代にはありましたが、今はむしろ三線やエイサーなどの沖縄文化を素直に誇りに思う若者が増えています。
復帰しても米軍基地はあり、貧困問題など社会的課題も多い沖縄ですが、それでも多くの人を惹きつけてやまないのは、美しい自然だけでなく、たくましくてやさしいウチナーンチュの笑顔があるからかもしれません。