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JAL東京(羽田)ー沖縄(那覇)就航70周年記念イベント

掲載日:
2024.02.06

JAL(日本航空) は、東京(羽田)-沖縄(那覇)を結ぶ定期便を就航させてから70年の節目を迎える2月5日に、那覇空港で記念イベントを実施しました。当日は、記念セレモニーを実施し、対象便にご搭乗いただくお客さまに記念グッズの進呈や、歴代の客室乗務員の制服の展示が行われました。

記念セレモニーでJAL(日本航空)清水副社長は、「1954年2月5日、札幌・大阪・福岡・サンフランシスコに続く5つ目の就航地となったJALの沖縄路線。当時沖縄は米軍の施政権下で当路線は国際線として就航し、到着地は米軍の嘉手納基地を使用し、週2往復での運航の開始となった。記録に残る1980年以降の累計搭乗者数は延べ7580万人余りとなり、現在1日13往復まで拡充している。今後も沖縄県の観光・経済の発展に貢献したい」と挨拶されました。

過去と現在 変わったものと変わらないもの(JAL公式ホームページより)

機材のかたちも こんなに違う!

1972年の沖縄本土復帰の翌年、1973年に沖縄線に就航したボーイング747SR型機は、短距離路線で頻繁な離着陸に対応できるように改良された、日本の国内線仕様の大型ジェット機で、ボーイング747型機は「ジャンボ」の愛称で親しまれました。

初便就航時の搭乗風景

写真は、1954年2月5日 東京-沖縄線定期便初便(DC-6B型機「City of Nara」号)に搭乗する乗客の皆さま。乗客は9名のご招待のお客さまと11名の有償のお客さまがご搭乗されていました。
また、当時は沖縄返還前であったので国際線であり、日本からの渡航者はパスポートに代わる身分証明書が必要でした。

現在では見ることの できない時刻表も!?

2021年3月28日~5月31日号を最後に、紙の時刻表は終了となりました。1954年就航当時の時刻表を見ると、当時の日本航空の国際線は、東京と沖縄を結ぶ路線と、東京、ホノルル、サンフランシスコを結ぶ路線だったことがわかります。
当時の飛行機では東京からホノルルまで直行では行けず、途中給油のためウェーキ島に着陸していました。
また、当時は同じ路線であっても運航曜日によって、それぞれ別の便名が付いていました。

時代は変わっても お客さまに寄りそう 気持ちを大切に

お客さまの旅がかけがえのない思い出となるように。