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県民に人気の沖縄のローカル史跡スポットランキング|TOP10

更新日:
2022.03.29

首里城・斎場御嶽・今帰仁城跡など、沖縄には数多くの史跡や名所があり、観光スポットとしても人気があります。

今回は、沖縄観光情報WEBサイト「おきなわ物語」に掲載されている史跡の中から、2021年の1年間に"沖縄県民"が多く訪れたローカルな史跡・名所をランキング*1形式でご紹介!

ランキングを見てみると、地元民が訪れる史跡や名所は、観光ガイドブックに載っている場所と少し違うスポットも見えてきます。
ぜひ次回の沖縄旅の参考にしてみてくださいね。

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うちなーんちゅがよく行く!沖縄の史跡・名所ランキング|1位~10位

1位から5位には、地元住民にとって象徴的なスポットやお参りスポットなどが多くランクインしました。各地域で大切にされてきた史跡を訪れることで、それぞれが持つ歴史的背景や言い伝えetc…に想いを馳せてみませんか?

第1位【名護のひんぷんガジュマル】樹齢300年以上!愛される名護のシンボル(名護市)

ひんぷんガジュマル

名護市の商店街の入口にたたずむ推定樹齢300年という国指定天然記念物のガジュマルの木。高さ19mの大木は、隣に立つ「三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)」の形がヒンプン(屋敷の門と母屋の間に立てるついたて)に似ていることからそう呼ばれるようになりました。ヒンプンには、外から敷地内が見えないようにする役目があると同時に、悪霊や災難が入り込まないようにするという意味もあり、名護の町に災難が入り込まないよう祈る地元住民の信仰の対象となっています。

住所
名護市大東1丁目1
TEL
0980-53-7755(名護市観光協会)

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第2位【経塚の碑】妖怪を退治した伝説にちなんで建てられた碑(浦添市)

経塚の碑(市指定史跡)

経塚の碑は、1522年に沖縄に漂着した日秀上人(にっしゅうしょうにん)が、浦添(うらそえ)の丘に妖怪が出没して村人を困らせているという話しを耳にして、「金剛経」を書いた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を立てたところ、それ以来妖怪が出なくなったという伝説にちなんでつくられたもの。お経を埋めた塚を経塚といい、この地域の名前の由来となっています。碑には「金剛嶺」の3文字が刻まれています。

住所
浦添市経塚1丁目

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第3位【与那原親川】地元で有名な子授かりのパワースポット(与那原町)

与那原親川(町指定史跡)

与那原親川は、浜の御殿(はまのうどぅん)に舞い降りた天女が、御子を出産したときに、この湧井(カー)の水を産湯に使ったと伝えられています。現在、井戸跡には祠が建てられ、親川広場として整備されています。デイゴの古樹に囲まれた親川広場は、与那原(よなばる)町民の団結と憩いの場として親しまれ、与那原の代表的な行事である大綱引きも、ここから始まり、ここで終わります。

住所
与那原町与那原556

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第4位【普天満宮】境内にある鍾乳洞内に御神体を祀る琉球八社のひとつ(宜野湾市)

普天満宮(ふてんまぐう)

普天満宮は、琉球八社のひとつで、熊野権現をお祀りしている神社です。沖縄には、「御嶽(うたき)」を崇拝する独自の文化が根付いており、他県に比べて神社の数が少ないと言われていますが、琉球王府から特別に認められた8つの神社を「琉球八社」と呼び、古くから地元の人たちの手によって大切にされてきました。境内には、普天満宮洞穴と呼ばれる全長約280mの横穴洞穴があり、市指定名勝になっています。洞穴内には広場が3カ所あり、そのうちもっとも大きな広場は、幅15m、天井の高さ6mで、「奥宮」とよばれ、普天満宮の御神体を祀る拝所となっています。入口近くには化石類が分布し、洞内では沖縄貝塚時代前期後半以後の土器等も発見されています。

住所
宜野湾市普天間1-27-10

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第5位【豊見城グスク】三山時代に重要な位置を占めた場所(豊見城市)

豊見城グスク

豊見城グスクは豊見城市の漫湖(まんこ)を見下ろす琉球石灰岩の丘陵地に立地しています。14世紀末~15世紀初頭、三山(さんざん)時代に南山(なんざん)王の従弟(じゅうてい)である汪応祖(おうおうそ)がグスクを築き、尚巴志(しょう・はし)によって落城されたといわれています。城壁やアーチ門などグスクの遺構は戦後の採石により壊されてしまいましたが、漫湖側に城壁の一部と思われる石積みが確認されています。

住所
豊見城市豊見城863

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第6位【弁ヶ獄】峰全体が御神体。斎場御嶽(せーふぁうたき)をのぞむ首里一番の峰(那覇市)

弁ヶ嶽(国指定史跡)

弁ヶ嶽は、首里城の東方約1㎞のところにあり、俗に「びんぬうたき」と呼ばれており、峰全体が御神体となっています。那覇市内最高の標高165.7mに位置する御嶽(うたき)で、本島中南部では与座岳(168.5m)に次ぐ高さの峰です。そのためかつては航海の目標にもなり、戦前は松などの大木が茂っていたそうです。かつては、琉球国王の親祭が行なわれた弁ヶ嶽は大嶽と小嶽の2つに分かれ、大嶽前の石門は、沖縄戦で破壊され、戦後、ハワイの「うるま一心会」からの寄付金と首里鳥堀町民の奉仕でコンクリート造の石門が再建されました。

住所
沖縄県那覇市首里鳥堀町4丁目

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第7位【渡口のテラ】子宝祈願や子孫繁栄として各地からの参拝者が多い拝所(北中城村)

渡口のテラ(県指定有形民俗文化財)

渡口のテラは北中城村(きたなかぐすくそん)にある子宝祈願や子孫繁栄を祈願する石造りの拝所で、「和仁屋間(わなま)のテラ」、「浜崎(はまさき)のテラ」とも呼ばれています。「テラ」とは一般に神の鎮座する所を指し、地元では「ティラ」と呼ばれています。中には高さ50~80cmほどの砂岩でできた4体の霊石が祀られており、他に小石もいくつか置かれています。琉球王府が1713年に編さんした『琉球国由来記』に登場し、権現信仰の起源や変容を知る上で貴重なものとして、沖縄県の有形民俗文化財に指定されています。

住所
北中城村渡口96

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第8位【伊祖の高御墓】自然の洞穴を利用し、全面を琉球石灰岩の石垣で塞いだ古墓(浦添市)

伊祖の高御墓(県指定有形文化財)

伊祖の高御墓は浦添市の丘陵の中腹北側斜面にあって、自然の洞穴を利用し全面を琉球石灰岩の石垣で塞いだ古墓です。地上から20m程の高所に位置することから高御墓(たかうふぁか)と呼ばれています。地元では英祖王(えいそおう・1229~1299)の父、恵祖世主(えそよのぬし)の遺骨が納められていると伝えられていて、墓内には、石厨子1基と甕棺2基が安置されています。墓の形式は、崖の洞穴を利用した岩陰葬墓(いわかげそうばか)で、前面は琉球石灰岩を相型積み(亀甲乱れ積みともいう)で積み重ねて塞いでいます。墓口が広く古い形式に属する墓です。

住所
沖縄県浦添市伊祖5丁目1

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第9位【御殿山(浜の御殿)】王府の神事と関わりの深い、天女が舞い降りた聖地(与那原町)

御殿山(浜の御殿)(町指定史跡)

浜の御殿は、琉球王朝時代「御新下り(おあらおり)」と呼ばれる聞得大君(きこえおおぎみ)の即位儀礼の際、首里を出発して最初の休憩地として仮御殿が建てられた場所です。名前の由来は、やんばるから首里の御殿(士族の屋敷)に納められる材木の置き場に指定されていたからとされています。高級氏族の御殿建設に使う材木が山のように置かれていたところから、実際に山はありませんが御殿山という名前になったと伝えられています。この地は、首里王府が編集した「琉球国由来記」という書によると、天女が天から舞い降りた場所とされています。

住所
与那原町与那原658

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第10位【八重山平和祈念館】恒久平和を願い、戦争マラリアの実相を今に伝える(石垣市)

八重山平和祈念館

八重山平和祈念館は、1999年に沖縄本島にある平和祈念資料館の分館として設立されました。太平洋戦争の最中、マラリア無病地から有病地へ退去させられる等して、多くの人がマラリアの犠牲者となりました。当館では、写真や資料等をとおして、八重山地域の戦争マラリアの実相や戦後のマラリア防遏の様子を紹介しています。

住所
石垣市新栄町79-3
TEL
0980-88-6161

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沖縄には、史跡や歴史・文化スポットがいっぱい

いかがでしたか?今回は、沖縄県民が訪れる「沖縄の史跡・名所」をランキング形式でご紹介しました。是非、この記事を参考に沖縄のディープな史跡・名所を巡ってみませんか?