第二回 焼き物の力
沖縄では焼き物のことを「やちむん」と呼びます。その美しい色や伸びやかな形を眺めるだけで心が躍り、手に取って料理を盛ればもっと楽しくなる。そんなやちむんのつくり手を訪ねて、那覇から車で50分ほどの読谷村(よみたんそん)へと出かけました。沖縄の真っ青な海を映したような大鉢に心奪われたり、なんとも言えない表情をしたシーサーに出合ったり。おおらかな自然の中で生まれたやちむんは、日々の暮らしを明るくする魅力に溢れています。
鮮烈なブルーに吸い込まれそうな大嶺實清の鉢。このペルシャンブルーは、太陽の光が導く色。
大嶺實清(おおみねじっせい)・陶芸家。1933年沖縄県生まれ。1970年首里城北の丘に「石嶺窯」を築窯。1980年、読谷村に共同窯「読谷山窯」を築く。沖縄県立芸術大学名誉教授。沖縄県公文書館ロビーなど公共建築の陶壁も数多く手がける。
鮮やかな色、シャープなフォルム、そして、強くてまっすぐな太陽の光をも跳ね返すようなみずみずしさ!
82歳になる陶芸家・大嶺實清(おおみねじっせい)さんの工房があるのは、沖縄本島の中部・読谷村に広がる「やちむんの里」。20近くの窯や工房が点在する集落です。今ではうつわ好きに人気の観光エリアにもなっていますが、そもそもの始まりは、1980年に大嶺さんを含む陶芸家4人が共同で築いた登り窯。沖縄独自の「ゆいまーる(相互扶助)」精神で始めたこの共同窯は今も現役で、大嶺作品のほとんどがここで焼かれています。
赤瓦の屋根が美しい共同窯「読谷山窯」。9連房の大きな登り窯。
「このブルーの器、いい色でしょう。でも、この青がなかなか出ないんだよ。専用の窯をつくれば、いつでも出せるんだろうけど、それじゃあつまらない。思う色に焼けたりダメだったりするのが面白いんだから」
そう言ってカラカラと笑う大嶺さん、実は30代まで現代アートの世界にどっぷり。1960年代に画家を志して京都へ移り、当時のアートシーンを賑わしていた前衛美術「具体」や伝説の陶芸集団「走泥社」に傾倒していたそうです。沖縄へ戻って焼き物を始めたのは、京都の古道具屋で琉球王国時代の陶器に出合ったのがきっかけ。
大嶺さんの器は、食材が映えるのも魅力。懐石のように美しい八重山料理を供する店でも使われている。
「沖縄の古い焼き物にはずいぶんのめり込んだけど、中国の器や日本の茶陶に美しいものがたくさんあることも京都で学んでいた。だから、沖縄の伝統にとらわれすぎず、美しいと思うものを美しくつくれるように努力しよう、そう思ったんだね」
その思いは今も同じ。人生に刺激を与えるアートとしての焼き物と、使うことが喜びにつながる日用の食器とを、どれだけ近づけていけるかが課題だと話します。そのための指針のひとつが、沖縄の自然に寄り添ったものをつくること。ブルーの絵付けには琉球列島の古い地層から採れるマンガンを用い、白い器の釉薬(ゆうやく)は琉球石灰岩が主原料。土も、山の中や川底から採った原土を使うことが多くなったとか。
「琉球の白です」と大嶺さんが言う、真っ白な台皿。昔からグスク(城)などに使われてきた琉球石灰岩を釉薬に使用。
「大地とともに何百年もの時間をかけて、風化し続けてきた土が好き。そんな土で焼き物ができるのは本当に尊いこと。僕は沖縄の小さな島で育ったんだけれども、風化した土に、島の原風景やにおいを感じているんです。うっそうとした森があって沢が流れ、家の屋根はススキの草葺(くさぶき)で。かけがえのない自然の美しさを、焼き物を通して若い連中に残したいのかもしれません」
大嶺さん作のシーサー。愛嬌のある表情が魅力。つくるはしから売れてしまう人気作品。