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赤瓦ちょーびんと行く 沖縄散歩
エピソードでつづる琉球人物ランキング

王国として日本とは違う独自の歴史を持つ琉球において、様々な人物が歴史を賑わし、活躍しました。例えば、私(ちょーびん)の名前の由来になった"平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)"は、王妃に惚れられて首里から領地に追放になった程の「美男子」だったそうですよ。ちなみに私は美男子ではないので、名前はひらがなにしました(笑)そんな個性的な歴史上の人物を『ちょーびんランキング』でご紹介しながら、ゆかりの地を散歩しましょう!

赤瓦ちょーびん
散歩7 勇ましい国王ランキング
 
勇ましい国王ランキング

今回の第1位は、琉球を統一した尚巴志(しょうはし)王です。

今から580年程前までは沖縄本島に北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)と3つの国があり、互いに争っていました。これを統一し、琉球王国をうちたてたのが尚巴志です。尚巴志は、南山佐敷の按司(あじ・地方の領主)の子として生まれましたが、出生にはこんな伝説があるんですよ。

尚巴志の父、苗代大親(なわしろうふや)は美里子(みさとのしー)の娘と恋仲になり、親に内緒で逢い、恋を語らっていました。そのうち2人の間に子ができましたが、当時は親の許さない恋愛はタブーだったので、親子共に命を断とうとしました。その時、白髪の老人が現れ、「この子は将来、琉球の王となる子だ。殺してはならない」と告げられ、2人はアマチジョーガマという洞窟の前に赤子を置き去りにしてしまいますが、その子を白鳥が抱いて温め、犬が乳を与えて育てたということです。そして、この子が後の尚巴志とも言われているんですよ。

尚巴志は体が小さかったことから佐敷の小按司(こあんじ)と呼ばれたといわれていましたが、志を大きく持ち、大きなサメを退治するなどのエピソードが残っています。

尚巴志親子の居城だった「佐敷上グスク」

尚巴志親子の居城だった「佐敷上グスク」

劇的な出生の物語が息づく「アマチジョーガマ」

劇的な出生の物語が息づく「アマチジョーガマ」

クイズ:尚巴志の築いた王統を第一尚氏王統といいますが、その第一尚氏の守り神とされたのは次のうちどれでしょう?

尚巴志は居城の佐敷上グスクの近くにある大きな勢力、大里城の大里按司を倒し、中山の浦添城を攻略。その後父を中山王にし、北の一大勢力の北山の今帰仁(なきじん)城を滅ぼします。最後に南山を滅ぼすのですが、南山攻略には嘉手志(かでし)ガーという井戸が関わっているんですよ。南山王が尚巴志の装飾の美しい金屏風と交換したといわれる泉で、南山の農民はこの泉を利用していましたが、交換した尚巴志は、中山に従う者だけに利用させたのです。その結果、農民はひそかに中山に従うようになり、南山の王の敗北に繋がったんですよ。

尚巴志のエピソードにはこんなのもあります。与那原の鍛冶屋に剣を注文しますが、鍛冶屋は鍋やクワばかり作ってなかなか出来上がりません。3年目にようやく出来上った刀を腰に差して、馬天(ばてん)港へと出向きます。鉄を積んだ大和船が来ていたので、鉄を売ってくれるように頼みますが、何度も頼んでいるうちに商人が尚巴志の持っている刀を見て「すばらしい刀だ。ぜひ譲って下さい」と言い出しました。やっとできた刀なのでとても悩みましたが「船いっぱいの鉄となら交換しても良い」と持ちかけ、鉄を手に入れることに成功し、その鉄で鍋やカマ、クワなどを作って農民に分け与え、人望を得たそうですよ。自分のものを顧みないその姿勢が琉球統一へとつながったのかもしれませんね。

しかし、尚巴志の王統も7代目の王の時代にクーデターがおこり、散歩5に登場した金丸が王位に着き70年あまりの短命となりました。クーデターの際、尚巴志の墓は焼き討ちに合い、遺骨は臣下により、持ち出され読谷の伊良皆の森の中の墓にねむっています。

ちょーびんランキングと共にご紹介した歴史散歩いかがでしたでしょうか。次回はまた違った散歩をお送りしますよ。お楽しみに!

糸満市にある「南山城跡」は現在、高嶺小学校敷地内にある

糸満市にある「南山城跡」は現在、高嶺小学校敷地内にある

歴史の転換に関わった「嘉手志ガー」

歴史の転換に関わった「嘉手志ガー」

貿易の拠点になっていた「馬天港」

貿易の拠点になっていた「馬天港」

旅の舞台
 
今帰仁城(北山城)
今帰仁城(北山城)

尚巴志は3000人の兵で、断崖に囲まれ難攻不落の城と言われた今帰仁城を攻めますが、なかなか落ちません。そこで城へ内通者を出し、裏門から城に侵入。城は火に包まれ、ついに落城します。城主の攀安知(はんあんち)は守り神の石へ「毎日大切に拝んできたのにこのざまはなんだ。俺は死ぬがお前も生かしておかん。」と石を刀できりつけたそうです。その刀は「千代金丸」といい、今も残っています。

安里八幡宮(あさとはちまんぐう)
安里八幡宮(あさとはちまんぐう)

尚徳王が喜界島を征伐に向かっている途中、小鳥を見かけ「勝ち戦になるならば、あの鳥を射落とさせてください。」と戦の神「八幡大菩薩」に戦勝祈願し、見事に飛ぶ鳥を射落とすことに成功しました。後にその地(那覇市安里)に琉球八社の1つ安里八幡宮という御宮を建てました。

浦添ようどれ
浦添ようどれ

英祖王は、母が「太陽がお腹の中に入る夢を見て妊娠した」ことから太陽の子(てだこ)と呼ばれました。また伊祖の戦に優れた方という意味で「伊祖の戦思い」とも詠まれました。後に王位につきますが、英祖王のお墓は「うらそえようどれ」と呼ばれ居城の浦添城の北側にあります。

 
クイズ答え 石(つきしろと呼ばれた霊石でした)
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